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琴 (小松清廉の妾) : ウィキペディア日本語版
三木琴[みき こと]
三木 琴(みき こと、弘化4年(1848年) - 明治7年(1874年8月27日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての女性。薩摩藩家老小松清廉(帯刀)の側室明治維新前の本名は琴仙子。別名、お琴、琴子。
== 生涯 ==
弘化4年(1848年)、三木吉兵衛の六女として誕生。
京都祇園の名芸妓として知られ、文久3年(1863年)に京都で活動していた薩摩藩士・小松清廉と知り合い、以後職柄から清廉の京都での情報収集に協力していたといわれる。
慶応元年(1865年)、清廉に引き取られて京都の小松邸の接待掛となり、本名に復する。慶応2年(1866年)に長男・安千代(後の小松清直)を、明治3年(1870年)長女壽美(スミ)を出産した。その後、清廉が大坂で病床に伏すと、献身的に看病し最期を看取った。その際に「わたしが死んだら帯刀(清廉)公の傍らに埋めてほしい」と頼んだという。明治3年(1870年)に清廉が死去すると、長男・安千代を鹿児島の正妻・に預け、自身は清廉と親交の厚かった五代友厚邸で長女の壽美とともに暮らした。
明治7年(1874年)8月27日、大阪(当時、大坂)で病死。享年26。墓は本人の願いどおりに鹿児島県日置市日吉町吉利の禰寝・小松家歴代墓所に建てられた。
なお、近に育てられた安千代は、後に小松家を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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